間違いを指摘されるということ

プログラミングを行うことが素晴らしい理由について
少しずつこれから説明していきます。

プログラミングをすることは、自分に成長の場を多く提供してくれます。

プログラミングをしていると、自分の間違っているということに対して
いやおうなく気づかされます。

いわゆるバグというものです。

最初に作ったプログラムは非常に多くのバグが含まれているものでしょう。
大量の syntax error 、それが終わっても実行時エラーや
ループ条件を間違えるといった論理的なバグもあります。

プログラムが始めたばかりのときは、これらのエラーを不快なものとして
認識します。

「なんでこんなに大量のエラーがでるんだ!」
「もー、何がなんだかわからん!」

そういう風に感じるときがあります。

しかし、ちょっと待ってください。
どうしてそう感じるのでしょうか?

プログラムを始めたばかりの頃は、間違いがあるのは
当たり前なのではないでしょうか?

人間には、自分に間違いがあったということを認めたくない
という気持ちがあります。
その気持ちはとても強いものです。
このあたりは明日もっと詳しく触れていきましょう。

間違いをただすには誰かに何が良くなかったのかに
ついて指摘してもらわなければいけません。

だけど、日常生活においてこのように自分の何が良くなかったかを
指摘してもらえる機会がどれほどあるものでしょうか?

周りの人の表情のわずかな変化を読み取って自分の今の行動が
周りを引かせたり、場に合わなかったんだと感じることがある
ということくらいがせいぜいじゃないでしょうか?
それですぐにどう間違っていたのか分かればいいですが、
それも分からないままただただ不安になり萎縮してしまう
こともあります。

しかしながら、プログラミングにおいては違います。
やるべきでないことをした場合は必ずそれを指摘されます。
しかもコンパイルエラーの場合はどういうように間違っていたのか
まできちんと指摘してくれます。

きちんと指摘されるということは、きちんと良くしていくことができる
ということです。
人はみな自分をもっと成長したいと、昨日の自分よりよくなっていきたいと
思っているものです。

今の私たちにとって、このような何か行動をして、それに対する
間違いを指摘してもらうプロセスのサイクルを一番早く多く
回転させることができるのは、プログラミングではないでしょうか?
つまり、成長のために必要なプロセスを最も多く体験することができる
のです。

プログラミングって素晴らしいと思いませんか?