自己イメージの与える影響

前回は、心の中でつぶやくということについて書きました。

この心の中でつぶやくことというのは何に関係しているのでしょうか?

たとえば、今日は100行ほど書いて動くようになったからこれくらいでいいかなとつぶやくこと、今日はまだ十分機能を実現したとは思っていないから、まだまだがんばろうということ。

それは何に関係しているのでしょうか。

これは、一種の自分らしさ、自己イメージとのギャップがもたらしているものです。

人は皆自分はこういう人間だという意識を持っています。

その間のギャップを埋めようとすること、もしくはそのままにしておきたいという強い思いによって、人は動きます。

この自己イメージが与える影響は非常に強いものです。

マクスウェル・マルツは有名な「釜茹でのカエル」という比喩でこれを表現しています。
水の入った水槽にカエルくんを入れてその水を熱くするというものです。急に熱くすれば逃げ出しますが、温度の変化をゆっくりとしてあげると、カエルは水槽から逃げ出さずに慣れてしまった水槽につかったまま茹で上げられて、死んでしまいます。

人間は自分の快適ゾーンというものがそれぞれにあって、その快適ゾーンの中にい続けようとするものなのです。その快適ゾーンが自分の固有のもので、独特なものだったとしてもそれが自分の中の常識になってしまって、それが自分の自己イメージによるものだとは思わなくなります。これはよくあることですが、気づいている人は多くありません。そして、自分の快適ゾーンが自分に全く良い結果をもたらしていなかったとしてもずっとその快適ゾーンの中にい続けようとするものです。
そして、その快適ゾーンというのは自己イメージによって形作られます。

たとえば、卑近な例に変えてみましょう。
あなたは自分の銀行預金がいくらになったら、焦り始めますか?

10万円を切ったら焦り始めるという方もいますし、100万円よりも少なかったら
どうしようと思う人もいます。大金持ちだと1億円を下回ると不安で仕方がなくなる
かもしれません。

「自分はこれくらいの銀行預金を持っているもの」という自己イメージがあるのです。そして、快適ゾーンから外れてしまったと感じ始める金額がそれぞれの自己イメージによって違うのです。

そして、10万円を切ってから焦り始める人は、10万円を切ってから必死に働いてお金を増やそうとしたり、倹約したりするでしょう。30万円くらいたまったらパーっと旅行とかしたりして使っちゃうかもしれません。

100万円を切ってから焦り始める人は、100万円を切ってから必死に働いたり、倹約したりするのです。

人はそれぞれ自分の自己イメージを抱えて生きています。

そして、10万円でアセる人はその自己イメージのままに生きています。そして過去の自己イメージがもたらす結果が現在の自分になっています。

その人の貯金は当然たまっていないですよね。
それなのに「自分はどうしてお金を貯まらないのだろう」と疑問を思う人がいます。お金を貯めようと思うならば、お金に対してお金持ちと同じ感じ方になる必要があります。

たとえ今10万円も持っていない状態でも、「自分は今銀行預金に1億円も入っていないなんてかなり貧乏だ。ヤバイ!」という感覚で生きるようにするということです。そして、それだけ稼ぐ方法について当然のように考えるわけです。自動的にそういう風に考える頭になってしまっているということです。
お金持ちの人がお金に対してどう感じるのかというテーマは非常に面白く参考になります。詳しくは「金持ち父さん貧乏父さん」などの書籍を参考にしてください。

こういう考え方はプログラミングについても同じです。優れたプログラマの方というのはいつももっと良いやり方はないかということについて考えています。新しいやり方が出てきたらとりあえず積極的に試してみたりします。
自分の今知っていることだけでは対応できないことがあることは当然知っているので、新しいことを学び、違うことを積極的にやっていきます。
それが向上心です。自分は新しいことをやっている alpha-geek だという自己イメージが向上心をもたらします。

また、コードの美しさなどに気をつけ、保守性やユーザビリティを気にします。汚いプログラムを書くのは自己イメージとは違うので、決してしたくないと思います。

自分は汚いプログラムを書く人だという自己イメージの人はずっと汚いものを書き続けます。

お金に対する構図と全く同じです。

あなたは今どのような自己イメージを抱えて生きていますか?
あなたはあなたの自己イメージにどのように影響を受けていますか?