混合診療の全面解禁・中医協の抜本見直し、厚労省猛反発

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混合診療の全面解禁が検討されている。
すばらしい進歩である。

混合診療が許されない理由として、主に医療の平等が満たされないということや、
保険制度の瓦解を招くということがよくあげられる。

今日は、これらについて反駁したい。
平等というのはさまざまな文脈で用いられるが、医療において平等とは
どのような概念なのであろうか。
理想的に平等な状態というのは、どんな人でも同じように、最高の
診療を受けられるような世の中であろう。

当然これは達成不可能な目標である。
現在、貧富に関わらず同じような診療を受けることができる。これはすごいことだ。
しかしながら、平等ではない。現在、3時間待ちの3分診療と呼ばれる
診療実態になっている。

今の制度では、どんな人でも同じように順番待ちで、診療を
受けることができる。その結果、人気で腕のいい医者には病人が殺到する。
医者は腕が良くても悪くても点数制で同じ値段なのだから、
当然客は腕のいいところに集中する。

その結果、自由な時間が豊富にある老人などしか、腕のいい医者の診療しか
受けることができないという結果になる。

この状況を果たして平等というのだろうか?

それでも、強硬に平等だという人がいるかもしれない。
しかし、平等さがの追求が、すべての人の望みだとは到底言えないのでは
ないだろうか?

次に混合診療が保険制度の崩壊を招くというのは本当だろうか?

混合診療が解禁されれば、保険外診療が診察の中心になり、保険の範囲内の
診療が行われなくなっていくという過激な意見まである。

たしかに保険外診療は、価格設定を柔軟にできる。

しかしながら、商売の原理から言って消費者の負担が少ない商品と
大きい商品があったとして、売れやすいのは普通に考えて
消費者の負担が少ない商品だ。
売れやすい方が儲けやすい。

おそらく、儲けようと思う医者も、保険外診療での診察を中心にしようだ
なんて、野心的なことは思わないだろう。

もちろん、非常に腕のいい、金持ち向けの医者や病院というのが
登場することは充分考えられる。
それでもなお、言いたい。

金持ち向けのサービスが別に登場することは果たして社会悪なのだろうか?

私が問題としたいことは、だれもが最高の診療を必要としているわけでは
ないということである。
現在の誰でもどんな医療を受けてもたいして負担額に違いがないという
現状であれば、常に最高の診療を受けるということが合理的な選択に
なる。

しかしながら、国民全体がみんな最高の診療を受ける必要はない。
国民全体が最高の診療を受けるときの国家の負担額は、
国民の負担額となる。

その痛みを多くの人に想像してほしい。