[日記] ワーキングプア問題雑感
最近、なぜかフリーターや NEET に関する論説を多く目にする。
NHK でワーキングプア特集の第3弾があったことも影響しているのかもしれない。
私がワーキングプアの問題について思うことは同じ議論が繰り返されすぎているということだ。
基本軸としては自己責任論・自助努力論と、社会の構造の変化に帰する部分の対決などがあって、この手の議論が繰り返されすぎていて、あと一歩踏み込んだ意見が出てこないものなのだろうか、と思う。
マクロな統計的な観点でいえば NEET やワーキングプアの増大はマクロなレベルでの給与水準や雇用者数の減少によるものだ。この要因を無視することは現実的なものの見方には思えない。
最近のエントリだが、以下のリンクの文章は昨今のものでは白眉であり、深い分析がなされている。
http://d.hatena.ne.jp/jmiyaza/20071231/1199032910
一部引用する。
日本で何がしか公的なものは家父長的なものと繋がっていたのであるから、家父長的なものを否定して公的なものをまもるというのは至難のことであろう。
というフレーズは金言だと思う。
あと、
わたくしが若いころ自分がサラリーマン適性がないと自覚すると、なんらかの覚悟をする必要があったのかもしれない。
というあたりも示唆に富む。
特に議論の中で考え方の食い違いがあるなと思ったのは次のところ。
上野氏はそんなスキルはその気になれば誰でも身につけられると思っている。スキルは正社員のOJTでしか身につかないとしている赤木氏とは対照的である。
ここは、上野千鶴子氏の意見も理解できるし、「若者を見殺しにする国」の赤木氏の意見も理解できる。
上野氏は、おそらく梅田望夫氏が提唱する高速道路論がわかっていないのであろう。
高速道路論によれば、現代では高速道路があちこちの分野で整備されており、その高速道路に乗っていけばたいていの分野でかなりのところまで極めることができる。しかし、その「かなりのところ」というのがクセモノなのだ。プロとして食える一歩、二歩手前でものすごい壁があり、それを多くの人は乗り越えられない。
おそらく上野氏は高速道路が整備されていない時代にプロとして食えるレベルに達したので、現代の高速道路が整備されており、誰でもスキルを簡単に身につけられる今の時代を見て、現代の若者がプロになるために何に苦労しているのかを想像できないのであろう。
それどころか、今では誰でもいっぱしのプロくらいにスキルを簡単に身につけられるように思っているように推測してしまう。
赤木氏の正社員の OJT でしかスキルが身につかないという主張は正しくは身につけたスキルを転職等の際に主張するには OJT によるものでなければならない、ということだ。
要するにプロとしてお金をもらうプロセスとしてそのスキルを使った・身に着けたという実績がないと、そのスキルが認められないのだ。
これは現代日本社会の残酷なルールである。
これからどうするべきか、ということは私が簡単に書くことはできない。
ただ思うことは、経済的にたとえ今の状況であったとしてももう少し尊厳や社会とのつながりというものを感じさせるような配慮はできないだろうか?ということだ。
NHK のワーキングプアの特集<http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/workingpoor5.html>でも指摘されているが、社会的排除が行われることは避けなければいけないと思う。
たとえばある人数のワーキングプア者が数人でルームシェアを行いつつ、互いに支えあって生きていくというような生き方が提示されていく必要があると思う。
ルームシェアに抵抗があるのであれば、結婚生活でもいい。
ワーキングプア2人のカップルが結婚して、2人合わせて年収400万円とかでカツカツで生きていくという人生がもう少し一般化させる必要があるのだと思う。
本当のことを言えば、景気拡大が起き、雇用者数の増加、平均的な給与水準の上昇というのが理想的な解決策である。その方向性を追求することが大事なのは間違いない。
しかし一方でそのときに恩恵を受けるのはそのときの新卒採用で採用されるものからという現実も直視しなければならない。ワーキングプア層が救済されるのはかなり遅れてなるのは確実であり、それを期待した対策だけを追求するのは非現実的とまでは言わないが楽観的すぎる。