タイ・クーデターに見る民主主義の正統性

タイのクーデター/「天使の都」静かに制圧

タイでクーデターが起こった。

まず、「五月事件」を知っている方がこの記事の読者にいるだろうか?日本では国際ニュースの扱いがとても低いため、ほとんど知られていないだろう。

1992年、民主化要求を国軍が武力で制圧した。それは、中国で起きた天安門事件バンコク版と考えれば理解が容易いであろうか。

この「五月流血革命」とも呼ばれる事件以降、タイでは国軍万能時代は終焉を迎えた。かつて国軍が支配した時代においては、政権側が自らクーデターを断行し、反対派を解体したのちに、新たな権力者として再登場することが繰り返されていた。「五月事件」以降、タイは民主主義の優等生と称されるほどになった。

この民主主義化の時代の波に乗ったのがタクシン氏である。

タクシン氏は、エンターテインメント事業を率いるパンブーン(中国名:黄民輝)氏やメディア事業を率いるソンティ(林達明)氏などと盟友関係を築きつつ民主化時代のタイの反映の礎を築いた。

90年代、金融部門などは97年の通貨危機の時代は危機に瀕したわけだが、その後、中華人脈を活かして、シンガポール資本を導入することによって、タイ経済は発展していった。

しかしながら、盟友の1人でメディア事業を率いていたソンティ氏は、タクシンに対して、国民から広く敬愛される国王を軽視する兆候、汚職官僚の黙認、そして南部イスラム教徒への専横が目立つことから、批判派に転ずる。

数多くのメディアが歩調を合わせるかのようにタクシン批判を行っているときに、今年の1月にタクシン一族が保有するシン・コーポレーション株が売却され、タクシン批判の声がより大きくなる。シン株売却には私利私欲の追求や不正取引脱税などの疑惑があった。

退陣要求が最高に高まった2月24日タクシン首相は抜き打ち的に下院解散を実施する。昨年2月に行った総選挙では500議席中376議席を獲得し、巨大与党を築いていた。おそらくタクシンは総選挙で圧倒的勝利を収めることによって、政権の正当性を内外に知らしめることを目的にしていたに違いない。

しかし、メディアは批判を続け、野党が民主主義国家としては禁じ手と言ってよい手に出る。3野党がすべて総選挙ボイコットで一本化したのだ。本当に選挙で戦うとタクシン側が勝利することが明らかであった。そこでボイコットすることによって、正当性のない選挙結果によってタクシンは政権を続けているという印象を野党側は作り出した。

その後タクシンは退陣表明を行ったものの院政を続けていると依然批判が続いた。政治的空白が長引き、今回のクーデターに至った。

この事件の経緯を見ていて、私は民主主義の正統性というものについて考えてしまう。タクシン側には民主主義的に見て正当性がある。タクシンは選挙で勝利できる人物だからだ。

一方、野党や国軍には民主主義的に見て、正当性はないだろう。選挙で勝利していないからだ。

しかしながら、野党や国軍に対して一方的に批判を浴びせる民主主義者も少ないに違いない。野党は汚職にまみれた政権に嫌気がさしている都市部の中流階級を充分に代弁しているし、国軍は今回の場合政治的混乱を止めた実行役という役回りを演じたに過ぎない。

私が考える民主主義の正当性はクーデターをシステム的に内包している点にある。総選挙で多数派が入れ替われば、軍事クーデターが行われたのと同じように政権交代が行われる。軍事クーデターによる政権交代と異なり、民主主義の政権交代は、流血がなく混乱が少ない点で優れている。

しかし、今回は選挙に圧倒的に強い与党と選挙ボイコットさえ辞さない野党の組み合わせになってしまった。その結果、野党のいない議会による政治運営を余儀なくされ、政治的空白が続いた。その後に起きたのが今回の軍事クーデターだ。

今回のこのクーデター後の政権がどのような形になるかまだ分からない。しかしながら、諸外国は民主主義的国家体制をタイに望んでいることは明らかだ。それが先進国の姿。タイはまだ発展途上国なのだが。