日本の農業

最近、農産物価格が上昇している。

それに伴い、ニュース番組で日本の農業の見直し論議が高まってきている。

これからいろいろと書く前にまず断っておくが、すでに農業についての議論は出尽くしている。これから書くような内容のことはもう80年代にはほとんど結論が見えていたような内容である。

しかしながらそれにも関わらず、今もう一度同じ議論を繰り返すことには意味がある。それは環境が変化しているからだ。農産物価格の高騰や、農業に従事している方々の高齢化、若者たちの農業はなれの加速などが進んでいる。

一番大きな変化としては地方の公共工事が少なくなってきていることだ。これは複数の影響を農家に対して与えている。日本の農業というのは建設現場と稲作の二毛作と言われている。

それだけ公共工事に頼った構造になっていたということだ。

さらに、日本の農家というのは実は単なる土地管理業に堕している。日本では公共工事があまりにも大規模に行われてきた。そして公共工事のために土地を購入する場合、国は農業用地として買う場合と比べて考えられないほど高い金額を農家に支払う。そのため、日本の農家では、農業に日夜実直に取り組むよりも、地方の有力者に陳情を繰り返して、自分の土地に公共工事を誘致するような状態になっている。

日本の農地とは単なる宝くじのチケットであり、しかも自分たちで当選確率を操作できるのだ。農業で利益をあげる目的ではなく
公共工事で一攫千金するために、土地を持っているので、自分たちで耕す気がなかったとしても、保有し続けようとする。

日本の農家は大規模農家が少なく、非常に小規模な農家の集合体となっている理由はそのようにする社会構造になっているからだ。しかも、日本の農家を支配している農協自体が小規模農家の利益の代弁者と堕していて、日本の農業の発展などからは非常に遠い施策を続けている。

絶望的なまでに低い日本の農業の収益性をあげる方法は大規模化するしかないわけだが、大規模化するためにそのような構造問題を解決し、小規模農家に農地を売るようなインセンティブを与えなければいけないが、そのような施策は難しいだろう。

それよりも所得補填のような小規模農家に利益を与えるような政策が中心的議論になりそうである。

大規模農家よりも小規模農家の方が大人数であり、一人一票の日本の民主政治では、圧倒的に小規模農家の声が優先されてしまうのだ。

日本の農家の問題点は多くの農業関係者にとってわかりきったことである。

それでいて、解決策が進まないのはどうしてかというと日本の農業の発展よりも、ムラの中の安定の方が大切な価値観の中で生きているからだ。

実際彼ら農業関係者の中にももしも一対一で飲む機会などであれば、何が正しい政策であるのかをきちんと認識し、そうなるべきだ、というようなことを語ることができるような人物はたくさんいるだろう。

しかしながら、日本の農業政策の決定の舞台ではわがままな小規模農家の声を抑えるような大人の意見を持つ人物などいないのである。